家族でパルケ・エスパーニャへ行った翌日、伊勢神宮参拝後に立ち寄りました。
田丸城は南北朝時代に南朝方の拠点として北畠親房、北畠顕信によって築かれたといわれる平山城です。現在は城内に玉城町役場と玉城町立玉城中学校があります。(よくあることです)
1342年(康永元年)、足利尊氏によって落城します。その後、室町時代には伊勢国司となった北畠氏の手によって再建され、戦国時代に織田信長の伊勢侵攻に伴い北畠具教の養嗣子となった織田信雄の居城として1575年(天正3年)に改築され、三層の天守を備えた近世城郭なりますが、5年後に火災で天守を焼失し、信雄は松ヶ島城へと移りました。
その後、蒲生氏、稲葉氏、藤堂氏と主を移すますが、最終的に1619年(元和5年)、徳川御三家の一つ紀州徳川家の治める紀州藩の所領となります。徳川頼宣は、遠江久野城城主であった付家老久野丹波守宗成に1万石を与え、田丸城城主として田丸領6万石を領させました。
城内図
車を玉城町役場の無料駐車場に止めて、いざ登城!!!(なお駐車場は代官所跡です)
カメラのバッテリーが残りわずか。。。構図を選んで撮影しないと。。。
大手門
大手門を入ると中学校の登校道です。校門前を通り過ぎしばらく登ると富士見門があります。
田丸城が廃城になった明治維新の当時、城内には8つの門が残されていました。富士見門は江戸中期のもので当時の原型をとどめています。
かつては、門の両側に長屋が付いていたことから長屋門ともよばれました。
富士見門
さらに登ると本丸虎口に出ました。この石垣等は江戸時代のものだそうです。
本丸虎口
さらに登ると、幾重にも重なる石垣が現れます。見事な石垣です。
そして本丸に到着。
本丸(奥に天守台が)
天守台(穴蔵があります)
天守台からの眺め
本丸から二ノ丸へ
二ノ丸虎口(後ろは中学校の校庭です)
ここでカメラのバッテリーが切れてしまいました。
今回は家族が駐車場で待っていたので走って周り、城の外周を周れませんでしたが、それでも無名な城ですが見事な石垣が残っているのに感動しました。けっして最高!とは言いませんが、期待以上だったので満足しました。
再度来る機会があれば、今度は「歩いて」ゆっくり登城したいです。
昨晩はパルケ・エスパーニャのとあるオフィシャルホテルに泊まりました。といってもビジネスホテルですが、朝食が笑ってしまったので撮影しました。これだけです。おかわりは自由ですがこれしかありません。バターも無しです。ただし食事以外も含めて不満はありません。必要最低限で十分なサービス。ホテルの方の応対も非常に良かったです。
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