まずは一乗谷朝倉氏遺跡資料館(復原町並とあわせて \230)でお勉強した後、腹ごしらえをしてから見学しました。
一乗谷朝倉氏遺跡 見取り図
一乗谷は東西約500メートル,南北約3キロメートルの谷あいに、戦国時代朝倉氏の城下町跡がそっくり埋もれていました。その南北に城戸を設け、その間の長さ約1.7キロメートルの「城戸ノ内」に、朝倉館(武家屋敷)をはじめ、侍屋敷、寺院、職人や商人の町屋が、計画的に整備された道路の両面に立ち並んでいました。
資料館のほど近くに下城戸があります。ここが城下町への北の出入り口です。
下城戸
土塁の手前には堀が設けられています。
城戸ノ内側の石垣
車を朝倉亭の駐車場に止めて、ここから歩いて散策します。
まず平面復原地区と呼ばれる一帯があり、道と礎石や井戸が復元されています。この辺りには寺院などもあったようです。
平面復原地区
しばらく行くと、町並立体復原地区と呼ばれる一帯があり、塀や建物が復原されています。
町並立体復原地区中央の道
復原された武家屋敷
復原された町家
平面復原地区を抜けて更に南へ進むと上城戸があります。これが南の出入り口です。
上城戸
上城戸から川の対岸を北へ引き返して進むと、朝倉氏館跡があります。
朝倉氏館跡背後の山から
第5代当主朝倉義景が住んだ館の跡で、常御殿、主殿、会所、茶室、花壇のほか、台所、厩、蔵などが整然と配されています。東側の山際には庭園が残っています。
実物を見ると、かなり広かったことがわかります。
一乗谷のシンボル 唐門
館の三方は土塁と堀で囲まれています。
館の堀
下の写真の山頂辺りに一乗山城があります。資料館で聞いたところ山城までは一時間ほどかかるそうです。雨の後でだったので道がグチャグチャで、熊が出るとのことだったので、今回は登城を見合わせました。
山城に行けなかったのは残念ですが、城下町の遺構は始めて見たので、当時の生活の様子が少し体験できたようで楽しかったです。
資料
■築城者 朝倉氏
■築城年 南北朝時代
■主な改修者 桂田長俊
■主な城主 朝倉氏、桂田長俊
■城郭構造 山城
■天守 なし
■遺構 土塁、堀、門
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昼食は、一乗谷にあった朝倉亭で 朝倉そば を食べました。恐らくこれは越前そばなのでしょう!美味しかったのですが、とても寒かったので、熱ければもっと美味しかったでしょう。
朝倉そば
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