2012年5月11日金曜日

金沢城 (重要文化財) 050

2012年5月11日 今回は友人二人と友人の車で、北陸のお城を
金沢城⇒丸岡城⇒一乗谷朝倉氏館⇒越前大野城
と巡ります。

まずは金沢城です。
5月にしては大変寒い日で、天気も小雨交じりです。
兼六園駐車場に車を置き、いざ出陣!

この地は元は加賀一向一揆の拠点で、浄土真宗の寺院である「尾山御坊(おやまごぼう」であったそうです。寺とはいうものの大坂の石山本願寺(大坂御坊)と同じく石垣を廻らした城ともよべる要塞でした。織田信長が一揆を攻め落とし、跡地に金沢城を築いて佐久間盛政を置きましたが、後に盛政が賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉により滅ぼされ、天正11(1583)年、秀吉は金沢城を前田利家に与えました。その直後から築城指導に高山右近を招き、本格的な築城が始まりました。

慶長7(1602)年、落雷により天守が焼失した後、天守は再建されず、本丸には三階櫓と二の丸には御殿が建てられました。寛永8(1631)年の火災の後、二の丸の拡大などにより城の構造が変化し各曲輪が区画されていきました。宝暦9(1759)年の火災では、城のほとんどを焼失しました。その後の再建では、実用性を重んじ、二の丸を中心とした整備が行われ、本丸の櫓は再建されませんでした。
やはり城内へは石川門から入りましょう。

石川門 正面

重要文化財に指定されている石川門は、天明8年(1788)に再建されました。金沢城の搦手(裏口)門で、高麗門の一の門、櫓門の二の門、続櫓と2層2階建ての石川櫓で構成された枡形門です。金沢城の特徴である「白い屋根」と「なまこ壁」の美しい門です。

枡形内部の石垣
左が打ち込みハギ 左が切り込みハギ

石川門 二の門

石川門を入ると三の丸の広い広場になっていて、正面に菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓が見えます。これらは平成13年7月に完成した復元されました。

右から 菱櫓 五十間長屋 橋爪門続櫓

三の丸の左側奥が本丸です。

奥の森が本丸跡

ココから城内に置かれていた「金沢城 石垣巡り」の城内ルートに従って進みます。

橋爪一の門と橋爪門続櫓

橋爪門続櫓は二ノ丸の正門である橋爪一の門を見下ろす位置にあり、 三の丸広場から橋爪橋を渡り、橋爪一の門を通って二ノ丸へ向かう人々を監視するための櫓です。続櫓の中央には、物資を2階へ荷揚げするための大きな吹抜けがあります。(後ほど内部に入ります)

五十間長屋前を通り、菱櫓を左に折れ、二の丸北面を進むと土橋門跡に出ました。

土橋門跡

土橋門から二の丸に入ると、ここも広い広場になっていて、奥に菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓が見えます。明治以降に建てられた木造城郭建築物としては全国最大規模で、事前調達や土台石垣の解体、修築を含め、平成10年3月から実に3年4ヶ月をかけて造られました。これらの建物は、戦の際に二ノ丸を守るための施設で、石落しや鉄砲狭間となる格子窓、白塗漆喰壁や海鼠壁で防火構造になっている外壁がその強固さを示しています。
内部に入れるので見学します。(300円)

左が菱櫓

菱櫓はその名の通り鈍角100度、鋭角80度の菱形の建物で、柱もすべて菱形です。二ノ丸でもっとも高い建物で、大きな石落しや千鳥破風の華やかな外観は、天守のない金沢城でシンボル的な建物だったようです。
木型に厚さ1.8mmの鉛を貼った鉛瓦や、平瓦を貼った目地を白塗漆喰で固めた海鼠壁も、他の城ではあまり見られない、この建物の特徴です。

菱櫓内部

菱櫓から長く伸びた五十間長屋を通ります。

五十間長屋

五十間長屋は多聞櫓で、武器等を保管する倉庫と城壁の機能とを兼ね備えた2階建ての建物です。木と木は、鉄のクギやボルトで留めるのではなく、木材に「仕口」や「継ぎ手」、或いは「ほぞ」や「ほぞ穴」と呼ばれる凹凸を造って組み合わせ、木で作ったクサビを打って外れないようにしてあります。

五十間長屋を進むと橋爪門続櫓に突き当たります。先ほど説明の荷揚げするための大きな吹抜けがあります。城でこのようなものを見たのは初めてです。

橋爪門続櫓の吹き抜け

菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓を見学して、本丸へ向う途中に三十間長屋があります。


三十間長屋

本丸附段にある2層2階の多聞櫓で、石川門と同様に重要文化財に指定されています。安政5年(1858)の築で、現在の長さは二十六間半です。南面は入母屋造りですが、北面は土台の石組よりも外壁がさがっており、切妻造りです。内部には入れませんでしたが、金沢城の歴史を見てきたようで、趣があります。
 
三十間長屋前にある鉄門跡です。

この門を入ると本丸です。

鉄門跡

現在本丸は森のようになっていて、城にいるとは思えません。

本丸跡

本丸から「いもり掘」の方へ降りました。
本丸南面の高石垣を見るためです。4段になった見事な石垣です。石垣上部は辰巳櫓跡です。

辰巳櫓石垣

辰巳櫓石垣から東の丸東面を進むと石川門に戻ってきました。

石川門

幣が工事中だったのが残念です。

石川門から東面をさらに進んで大手門跡を目指します。

大手門跡

さすが大手門!鏡石と呼ばれる巨石を多用した立派な石垣です。ここに門が残っていないことが残念です。

大手門から新丸に入ると、正面に河北門が見えます。

河北門

河北門は三の丸の正面にあたり、金沢城の実質的な正門です。金沢城の建物の大半が焼失した宝暦の大火(1759年)の後、安永元年(1772)に再建された重要な門ですが、その後消失して平成22年に復元されました。

河北門

河北門 内部

河北門から菱櫓を臨む

さすが百万石前田家の居城、すばらしい城でした。今回の登城では全てを見れていないので、再度天気の良い日にじっくり巡りたいと思います。


資料

■築城者 佐久間盛政
■築城年 天正8年(1580年)
■主な改修者 前田利家・利長
■主な城主 佐久間氏、前田氏
■城郭構造 梯郭式平山城
■天守 不明(1592年築)
■遺構 長屋・門、石垣、土塁、堀

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金沢城登城後、前田家とゆかりのある妙立寺(みょうりゅうじ)に参拝しました。


寛永二十年(1643年)、三代藩主前田利常公の命により、城内にあった祈願所を移し、運上町に創建されました。当時、加賀藩は百万石の禄高を誇る外様大名の雄として徳川幕府から常に監視されていました。
その中で妙立寺は、万一の場合の出城として、その中心的役割を果たすように建築された言われています。そのため、建物全体が迷路状となり複雑な構造になっているため、今日では『忍者寺』と呼ばれていますが、忍者とは何の関係もありません。

内部は案内していただけますが、写真撮影が禁止の為、写真はありません。

当時、幕命で3階建て以上の建物は禁止されていたため、外観は2階建てですが、内部は4階建て7層になっています。中2階、中々2階があり、部屋数は23、階段数は29もあります。

・物見台・望楼

本堂の屋根の先端部分にあるギヤマン(現在はガラス)張りの見張り台。加賀平野を遠望でき、敵の動きをいち早く察知できる。

・井戸

深さはおよそ25mほど。茶水に利用される。水面上には横穴があり、金沢城へ続く逃げ道になったとも云われている。そのため、庫裏の各部屋はこの井戸を中心に構成され、どの部屋からもロープを使い井戸へと逃げることができる。

・仕掛け賽銭箱

本堂正面入り口に埋め込まれている。敵が侵入してきたときは、落とし穴として利用される。

・明かり取り階段

正面の突き当たりにある階段。蹴込(けこみ)の部分に障子を張って明かりを取り、外敵の足の影を見て槍などで倒すことができる。

・落とし穴階段

本堂の階段群にある渡り廊下に見せた階段。床板をはずすと落とし穴になり、下男部屋へ通じている。この落とし穴に落ちると、階下で待ち伏せている下男により、攻撃される仕組みになっている。

・本堂裏隠し階段

物置の戸を開けて床板をまくると、階段があり外へ逃げることができる。外から堂内に逃げ込む際には、床板に溝が刻まれているため、引き戸を閉めることで“自動ロック”がかかり開かない仕組みになっている。

 
参拝後、今日の宿泊地である山代温泉に向いました。
明日は 丸岡城からスタートです。

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金沢に着いて、まず腹ごしらえです。現地で人気のラーメン屋さんでラーメン(大盛り:1250円)をいただきました。美味しかったですが、私はもう少しコッテリしている方が好みです。

昼食のラーメン

宿泊は、山代温泉 ゆのくに天祥 です。
特別プランで1泊2食付で10,000でした。


部屋 風呂 料理 どれも最高でした。
また泊まりたいなぁ!!!

夕食
この後で天ぷら等がゾクゾクと・・・

朝食
量も質も十分です

1 件のコメント:

  1. 最近iphoneに変えたTUGARUです。100万石クラスになると見ごたえありそうですね~。金沢は行ったこと無いのでうらやましいです。
    ちなみにわたしは、東海道攻略中です。

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