城内駐車場に車を止めて、いざ登城!!!
丸亀城は、慶長2年(1597年)豊臣政権の時代、高松城の生駒親正が支城として亀山に築いた城です。万治元年(1658年)播磨国龍野より京極高和が6万石で入封し、以後明治時代まで京極氏の居城となります。
山麓から山頂まで4重に重ねられ総高60メートルの石垣は日本一高く、三の丸石垣だけで一番高い部分は22メートルあります。
まず城内西側に御殿表門があります。この門は京極氏の屋敷の表門にあたり、形式は薬医門です。この門に接して番所や長屋があります。
御殿表門
門を通り抜けて大手の方へまわりました。
内堀の外から大手二の門と天守の眺めは石垣の高さが良く分かり壮観です。
大手一の門(右),大手二の門(中央)と天守
大手門は大手一の門と大手二の門(共に重文)で枡形を作っています。この大手一の門は櫓門で、中に入ることができました。大手二の門は高麗門です。
大手一の門(重文)
急な坂道を登り、いくつかの門跡を超えて本丸に着きました。
本丸と天守(重文)
本丸は亀山の頂上で、広場になっていて天守以外は何もありません。
この天守は江戸時代に建てられたもので、実は御三階櫓だったのですが、現在は天守として扱われているようです。建物は唐破風や千鳥破風を施して漆喰が塗られ高さは15メートルで、現存三重天守の中で最も小規模です。
内部は歴史の重みが感じられ、やはり現存はいいです!!!ただ小さいです。高松城の艮櫓ぐらいでは???
天守最上階
帰りは曲輪をまわりながら降りてきましたが、この城の魅力はやはり石垣です。幾重にも組まれた高い石垣が壮観です。
三の丸西側の石垣
支城ということもあり、こじんまりしていましたが、見ごたえと筋肉の疲労はありました。
次は今治城に向います。
資料
■築城者 奈良元安
■築城年 室町初期
■主な改修者 生駒親正、山崎家治
■主な城主 生駒氏、山崎氏、京極氏
■城郭構造 輪郭式平山城
■天守 複合式層塔型3重3階(1660年築)
■遺構 現存天守・門・長屋・番所、石垣、堀
0 件のコメント:
コメントを投稿