今回は四国北部の4城と しまなみ海道 を渡り福山城に登城します。
高石市を8時に出発し、淡路島経由で四国に渡り、11時半に高松城に到着しました。
香川県立ミュージアムに車を止めて、いざ登城!!!
高松城は、豊臣秀吉の四国制圧の後、天正15年(1587年)讃岐1国の領主となった生駒親正によって、「野原」と呼ばれた港町に築かれました。縄張は黒田官兵衛とも細川忠興とも言われています。現在見られる遺構は、江戸初期に徳川光圀の兄で常陸国から12万石で高松に移封された松平頼重によって改修されたものです。近世城郭の海城としては、最初で最大のもので、日本三大水城の一つです。
まずは旭門へ向いました。旭門の左側(南)に艮櫓(重文)があります。ここには元々太鼓櫓がありましたが、東の丸にあった艮櫓が移築されました。三層三階の入母屋造で優美な姿です。久しぶりに城の建造物を見たのでちょっと興奮しました。
艮櫓(重文)
中堀にかかる旭橋を渡り、旭門から桜の馬場へ入ります。内部は枡形になっています。
旭門
桜の馬場から桜御門跡を抜けて三の丸へ入ります。
三の丸西側から内堀越に天守台が見えましたが、現在改修工事中でした。
天守台(本丸)
明治時代には下の写真の様な天守が建っていたようです。
明治時代の天守
三の丸北側の北の丸には、月見櫓(着見櫓)と海城特有の水手御門(みずのてごもん)、渡櫓、鹿櫓(いずれも重文)があります。
月見櫓,水手御門,渡櫓
北の丸から水門の横を通り二の丸に入ります。水門で内堀は海と繋がっている為、内堀には小ぶりですが美味しそうな鯛が鯉のように沢山いました。
二の丸の南側に本丸と繋ぐ蛸橋が架かっています。
蛸橋
現在は工事中のため、残念ながら渡ることができません。この橋が唯一本丸へ渡る橋だったようです。
高松自動車道で事故があり、予定より遅れていた為、御殿を見ることができませんでしたが、予想以上に遺構が残っていて良かったです。
資料
■築城者 生駒親正
■築城年 1590年(天正18年)
■主な改修者 松平頼重、松平頼常
■主な城主 生駒氏、松平氏
■城郭構造 輪郭式平城
■天守 独立式層塔型三重四階地下一階(1669年改・非現存)
■遺構 櫓、門、渡櫓、石垣、堀
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登城後、丁度昼時だったので、高松城南側でたまたま見つけた手打ちうどん屋で 生醤油うどんを食べました。こしがあり、ちょっと塩味の麺がさすがに美味かったです。
次に丸亀城に向いました。
明治時代まで残っていた城は良いしろが多そうですね。
返信削除私も行ってみたいです。
最近、大阪→奈良に引越した物です。
郡山でも頑張ってまーす。
もう少し余裕ができたら、まずは、近場の郡山城ですかね~
匿名さん、コメントありがとうございます。
返信削除郡山城も石垣がよく残っていて、中々いいですよ!
(もう行ったかな?)
お勧めの城を見つけたら、教えてください。