2010年9月12日日曜日

岡崎城 031

2010年9月12日に登城しました。


「駿河~遠江~三河」城巡りの最後の5城目です。

岡崎公園駐車場に車を止めて登城に向いました。
岡崎城は松平清康(徳川家康の祖父)が現在の位置に移築して築いた城で、徳川家康はこの岡崎城で誕生しました。
天守は復興(コンクリート)で内部は資料館になっています。

天守正面

天守最上階から本丸を望む

館内のジオラマによると、縄張は非常に複雑で迷路のようになっていたようですが、残念ながら城跡には現存の建造物は残っていませんし、石垣と掘りも余り残っていません。

本丸石垣

珍しく湾曲した曲輪(石垣)

本丸を出て三河武士のやかた家康館に向いました。
ここはまるで観光地です。団体客で一杯です。城巡りでこんなに大勢の人が訪れている城は、姫路城以外で見たことがありません。家康人気でしょうか・・・ちょっと冷めてしまいました。

家康館

館内はもちろん資料館で、徳川家以外に本多家に関する展示も結構ありました。中でも関が原の戦いのジオラマは良くできていて、合戦の様子が良くわかりました。

最後に再建された大手門を見て、前日同様非常に遅い昼食(3時過ぎ)に向いました。

大手門


資料

■築城者 西郷稠頼・頼嗣
■築城年 1452年(享徳元年)
■主な改修者 松平清康、田中吉政
■主な城主 西郷氏、松平氏、田中氏、本多氏、水野氏
■縄張 梯郭式
■立地 平山城
■天守 複合連結式望楼型3重3階
■遺構 天守(復興?)、門(復元?)、石垣、堀


昼食にはうなぎを食べようと思い、岡崎城天守で美味しいお店を教えてもらっていたのですが、何と昼食時間帯を過ぎていたので食べに行けませんでした。メチャクチャ残念!!!
今回の城巡りは昼食にツキがありません。
そこで、事前に調べていた名物の八丁味噌料理の店(岡崎公園内)に行き、みそかつ定食(1050円?)を食べました。私には味噌ソースがちょっと辛かったですが、美味しかったです。

みそかつ定食

三河吉田城 030

2010年9月12日に登城しました。

「駿河~遠江~三河」城巡りの4城目です。

三の丸駐車場に車を止めて登城に向いました。
現在は公園になっていますが、最初お城が見つけられずウロウロしていたのですが、後で調べたら、ウロウロしていたところは二の丸だったようです。

最初に見つけたのは千貫櫓の石垣です。ここに吉田城の石碑がありました。

千貫櫓石垣

このお城は堀や石垣の遺構がよく残っているようです。

本丸石垣と空堀

本丸門?跡

唯一の建造物である鉄櫓(隅櫓:復興)がありますが、残念ながら修復工事中でした。
 
修復工事中の鉄櫓(隅櫓)
 
本丸
 
豊川側に降りてみると、石垣が高く積まれていることがよくわかります。
豊川に面している堀は、当時は川の水が引き込まれていたようです。
 
豊川沿いから見た本丸石垣と鉄櫓(隅櫓)
 
 
資料


■築城者 牧野古白?
■築城年 1505年(永正2年)?
■主な改修者 池田照政(池田輝政)
■主な城主 牧野氏、戸田氏、小原、酒井氏、池田氏、竹谷松平氏、深溝松平氏、沼津水野氏、山形水野氏、小笠原氏、久世氏、牧野氏、長沢・大河内松平氏、本庄松平氏、長沢・大河内松平氏
■縄張 半円郭式
■立地 平城
■天守 なし
■遺構 模擬鉄櫓、石垣、土塁、堀

浜松城 029

2010年9月12日に登城しました。

「駿河~遠江~三河」城巡りの3城目です。
浜松市役所の駐車場に車を止めて登城開始!

当時の野面積みの石垣が残る

浜松城は、徳川家康が29才~45才の間居城していました。駿府城に移った後は、城主になった者が次々と重要な役職に登用された為出世城と言われているそうです。
天守はコンクリートの復興で、内部は資料館になっています。(150円)

天守

天守最上階からは、天守曲輪と天守門跡が見えます。

天守門跡

天守台は野面積みの石垣が残っています。
また曲輪には土塀が残っており、西には埋門がありました。


天守北側は谷になっており天然の堀になっていたようですが、現在は日本庭園になっています。


資料


■築城者 今川貞相?
■築城年 16世紀前半
■主な改修者 徳川家康
■主な城主 飯尾氏、松平氏、堀尾氏、井上氏、水野氏他
■縄張 梯郭式
■立地 平山城
■天守 不明(現在模擬天守)
■遺構 石垣、曲輪

2010年9月11日土曜日

掛川城 028

2010年9月11日に登城しました。

「駿河~遠江~三河」城巡りの2城目です。
大手門駐車場に車を止めて早速登城に向いましたが、閉門30分前でした。

掛川城は今川氏の重臣朝比奈泰煕が築城しましたが、今川氏滅亡後、山内一豊が今の掛川城へと大修築を行いました。

天守は江戸時代の大地震で倒壊しましたが、平成6年に木造で復元され、平成7年には大手門も復元されました。

大手門

大手門の後ろには現存の大手門番所が移築されています。
時間が無いので、急いで本丸に向いました。

本丸門と天守(逆光で残念!)

本丸からの天守

天守は高知城にそっくりです。実は高知城は掛川城を真似て建てられたそうです。
(天守・御殿入館料 200円)

天守内部はさすが木造だけあって、木の香りがしていいですね。コンクリートの味気なさはありません。

天守内部

天守最上階からは、眼下に現存の二の丸御殿太鼓櫓が見えます。

二の丸御殿

太鼓櫓(中央奥)

天守を降りて二の丸御殿へ行きました。現存する城郭御殿は、掛川城の他に 二条城,高知城,川越城の4箇所しかなく非常に貴重です。

二の丸御殿 玄関

御殿自体は想像していたより広く、二条城のような豪華さはありませんが現存の重みは十分ありました。

もっと遺構を探索したかったのですが、時間が無くて残念でした。


資料

■築城者 朝比奈泰煕
■築城年 15世紀後半
■主な改修者 山内一豊
■主な城主 朝比奈氏、山内氏、太田氏他
■縄張 
■立地 平山城
■天守 複合式望楼型3重4階(1996年 木造復元)
■遺構 二の丸御殿(重文)、門


この日は磐田の友人宅に泊めてもらいました。
その日はちょうど重要無形文化財の見付天神裸祭の当日で、夜中に見物に行きました。
裸の男達が駆け回り、午前0時半に街全体(街灯も信号も)が消灯され、辺りが真っ暗になるのは初めての体験でした。

駿府城 027

2010年9月11日に登城しました。

「駿河~遠江~三河」城巡りの1城目です。
今回は友人2名と車で巡ります。友人宅に泊めてもらって1泊2日の計画です。
大阪八尾を8時前に出発し11時過ぎに到着しました。

駿府城は徳川家康の隠居城として築城されたお城で天下普請で建てられました。現在は二の丸内が駿府公園となって残っています。三の丸水掘もほど残っていて公共施設が建っているようです。

二の丸巽櫓(木造復元)と二の丸水堀

写真でよく見る巽櫓は立派です。後ほど中に入りましたが、小さな天守ほどの大きさがあります。

東御門
東御門橋を渡って東御門を入ると枡形門になっていて内部に櫓門があります。

櫓門(東御門)

東御門を入ると公園です。所々に本丸水掘が残っていますが、それ以外は天守台も何もありません。残念です。。。

公園内

巽櫓と東御門(櫓門)は中に入れます。(200円)
内部はお城の資料館になっています。

東御門内部

資料館には天守の模型がありました。駿府城天守は江戸時代に火災で消失しましたが、残念ながら再建されませんでした。実は日本の城郭史上最大の天守だったそうです。

天守模型

内部の案内にガイドさん(無料)をお願いし、個人で見学するより非常に良くわかったのですが、この方のしゃべるスピード遅く、30分もあれば十分見れそうなところを1時間半もかかってしまいました。これが後の予定に響いてくることになろうとは、この時の3人には知る由もありません。


資料

■築城者 徳川家康
■築城年 1585年(天正13年)
■主な改修者 徳川家康
■主な城主 徳川氏、中村氏、内藤氏(松平氏)
■縄張 輪郭式
■立地 平城
■天守 不明
■遺構 櫓(復元)、門(復元)、石垣、堀


一通り公園内を見回って駿府城を後にし、事前に調べていた安倍川餅を食べに行きました。
この店は江戸時代(1804年)から続いているようで、店内には古い店の写真が飾られていました。
肝心の安倍川餅は、私が知るような大きさではなく親指大くらいで、きな粉だけでなくあんこもありました。ただちょっと高い(お茶つきで600円)かなぁ?

安倍川餅の老舗 石部屋(せきべた)

そのあと焼津が近いので、昼食にまぐろを食べに行きました。店を決めていたのですが閉店時間(15時)に8分間に合わず入れませんでした。隣に海鮮料理の店が開いていたので、とりあえずそこで「特まぐろ丼(950円)」を食べました。駿府城で費やした予想外の時間がココできいてきました。

特まぐろ丼

次は掛川城に向います。