青春18切符を利用して、大阪から在来線で3時間近くかかって岡山駅に到着しました。
岡山駅からは徒歩で10分程度です。
まず、大手門前の内下馬橋を渡って大手門跡を抜けて本丸(下の段)に入ります。
この堀は内堀になります。
大手門前の内下馬橋
大手門から右に折れると、本丸本段が見えます。かなりの高さの石垣です。また塀が復元されていて石垣の美しさが栄えます。
本丸本段石垣
上の写真左奥に石段があり、これを登ると鉄(くろがね)門跡があり、表書院があった表向になっています。
表向の北隅に現存の月見櫓(重文)があります。
月見櫓
月見櫓は元和・寛永年間(1615-1632年)築で、武器の貯蔵庫として使われていたようですが、名前どおりに月見にも使われていたようです。珍しく雨戸がありますが、これは後に付けられたのでしょうか?
表向から本段へは不明(あかずの)門を通ります。
不明門
不明門は渡櫓門で、本段の入口を固める重要な門ですが、普段は北端の渡り廊下を使用していたようです。鉄筋コンクリートの外観復元です。
不明門を抜けて、いよいよ本段に入ります。
本段東中央に六十一雁木上門が再建されています。
下の段から直接本段に通じる石段下に建つのが六十一雁木下門(櫓門)で、奥が要害門(高麗門:再建は薬医門形式)です。本段御殿に勤める武士以外の者の通用口として使われていたようです。
六十一雁木下門
さあ、いよいよ天守です。
天守と塩蔵
岡山城天守は、大入母屋造りの基部に高楼を重ねた望楼型です。外壁に黒塗りの下見板を張っているため全体的に黒色が強調されています。
また西側三分の一は塩蔵と呼ばれる別の櫓(写真左側)が渡櫓なしで直接に天守に付属しており、複合式天守」となっています。
残念ながら、天守は石山門と共に岡山空襲で焼失しました。現在の天守は、鉄筋コンクリートで外観復元されたものです。
天守最上階から後楽園を望む
天守を出て、本段北西から表向に出て廊下門から下の段へ出ました。
廊下門(下の段から)
なお当時、本丸西側に西の丸がありましたが、西の丸西端にあった西の丸西手櫓が現存しています(重文)。現在は小学校跡の校庭の隅にひっそりと建っています。何だか哀れになります。
西の丸西手櫓
二ノ丸付近には、長屋門が移築されている。
長屋門
本丸下の段を出て、旭川を渡り昼食をとって、後楽園に行きました。
旭川向からの天守と月見櫓
後楽園は日本三名園にかぞえられるだけあり、見事な庭園でした。
岡山城を借景に沢の池
他の名城もそうですが、空襲と廃城令を恨みます。
資料
■築城者 上神高直?
■築城年 正平年間
■主な改修者 宇喜多秀家、小早川秀秋、池田忠雄
■主な城主 宇喜多氏、小早川氏、池田氏
■城郭構造 梯郭式平山城
■天守 複合式望楼型4重6階(1597年築)
(鉄筋コンクリート造外観復元・1966年)
■遺構 櫓、石垣、堀
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昼食は旭川川向にある食事処で冷やしうどん定食(\950)を食べました。
岡山名物のままかりが付いていましたが、私はどうも。。。イマイチでした。
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