2010年11月23日火曜日

高取城 033

2010年11月23日に登城しました。

この日は「たかとり お城まつり」があり、火縄銃の実演があるということで、この日に登城を決めていました。

朝9時過ぎに 近鉄壺阪山 駅に到着、登城を開始しました。
ルートは猿石側から登り、壺坂寺側から下山しました。

高取城は標高583メートル、比高350メートルの高取山山上に築かれた山城で、日本三大山城の一つです。当時は山上に白漆喰塗りの天守や櫓が29棟建て並べられた広大な城郭だったようです。

駅から祭りの準備をしている町並みを通り過ぎ、段々山に入っていきます。
山に入って暫くしたところで石碑がありました。

黒門跡あたりにあった石碑

さらに登っていきます。段々汗だくになってきました。
七曲りという折れ曲がった坂道を越えたところで、猿石といわれる石が置かれていました。

猿石

ここから先は細い山道になっていました。猿石の先にニの門跡があったはずですが、その場では気づきませんでした。(疲れのせいもあるかも?)ただ、草に覆われた石垣が現れはじめました。
ここら辺りは城内なので、当時は櫓などの建物が建っていたのでしょう。
そして三の門跡を超え国見櫓跡に着きました。石垣もしっかり残っており、名前の通り、下界が見渡せ、すばらしい眺めでした。何と大阪市内のビル郡も見えました。
そして矢場門跡を超え、松の門跡ではかなりの高さの石垣が残っていました。
さらに宇陀門跡,千早門跡と超え三の丸に入り、大手門跡に到着しました。

大手門跡

大手門を入って十三間多聞跡に到着。

十三間多聞跡

十三間多聞内は二の丸です。紅葉がきれいです。

二の丸にて(正面は新櫓の石垣)

新櫓石垣の左側から十五間多聞跡を入るといよいよ本丸に到着しました。

本丸

本丸はちょっと狭いかな?山頂ですからね!
早速天守台へ

天守台

天守台の中央に国土地理院の三等三角点が立っていました。ここが高取山の山頂のようです。

時間は10時半頃でした。ちょっと早いですがここで昼食にしました。
一緒に行った友人の奥さんのお弁当をいただきました。(奥さん、ありがとうございました。とっても美味しかったです!)
本丸は寒くてじっとしておれず、さっさと下山することにしました。
本丸の石垣を一周し、草にまみれた石垣に感動しながら・・・それにしても、こんな山頂によくこれだけの石垣を築けたものです。ただただ感心するばかりです。。。

帰りは壷坂寺経由で帰るので、大手門を出てから左に曲がり、壺坂口中門跡を経て降りていきました。
壺坂口中門跡

途中、五百羅漢に参拝し、壷坂寺を横切って城下町に戻ってきました。
時間は13時過ぎでした。
お祭りの火縄銃実演は15時半からだったので、二の門が移築されている子島寺へ行きました。

子島寺の門(二の門移築)

いま行ってきた城の唯一の現存建造物だと思うと、感慨深いですね。
参拝してから、火縄銃の実演を見ました。腹に響くものすごい音で迫力があり、待って見た甲斐がありました。

今回は寒くて本丸をじっくり見れなかったので、ぜひもう一度登城したいです。ただ次回は途中まで車で行ってもいいかな。。。、


資料


■築城者 越智邦澄
■築城年 1332年(元弘2年)
■主な改修者 筒井順慶、本多利久
■主な城主 越智氏、筒井氏、本多氏
■縄張 連郭式
■立地 山城
■天守 連立式3層3階地下1階(非現存)
■遺構 石垣、堀、井戸

2010年10月16日土曜日

安土城 032

2010年10月16日に登城しました。

天気は最高です。
安土駅前の信長像に挨拶し、レンタサイクル屋でママちゃりを借りて(5時間 1000円)、いざ安土城に向って出陣!!!
駅から15分ぐらいだったでしょうか?安土城に到着しました。

入り口で入山料(500円)を支払い、いきなり大手道の長い階段が目に入りました。

大手道

この階段を見ただけで鳥肌が立ちました。。。スゴイ!!!
階段を登っていくと、すぐ右側に(伝)前田利家邸跡が、左側には(伝)豊臣秀吉邸跡があります。

豊臣秀吉邸跡(上段部)


豊臣秀吉邸跡(下段部)

後で訪れた滋賀県安土城考古博物館でわかったのですが、下段部には櫓門があり武士が控える大きな厠が建っていたようです。上段部は秀吉が生活する場所で、高麗門と脇に隅櫓が建っていて、中には主殿や台所が建っていたそうです。
場所的には城の一番入り口近くですが、面積は一番広かったように思います。

さらに石段は続きます。

まだまだ石段

そして黒金門跡に着きました。ココから先はいよいよ城の中枢部です。

黒金門跡

黒金門を入ると二の丸になっていて、現在は信長公御廟があります。(合掌)

二の丸

信長公御廟

二の丸を進むと本丸があり、御殿跡らしき礎石が多数埋められています。
そして本丸から石段を上がると天主台があります。

天主台へ登る階段

天主台にも礎石が多数埋められています。城史上最初の天守にしては、大変大きいです。

天主台

天主台から北側が開けていました。琵琶湖から彦根方面が一望に見渡せます。
誰でも天下を取った気になるかも。。。

天主台北側からの眺望

帰りは順路どおり、摠見寺の三重塔と二王門を通り下山しました。
途中にも石垣がいたるところにあり、この城の壮大さを感じました。

安土城を後にし、滋賀県安土城考古博物館に向いました。
博物館の前で、ちょうどコスモスが満開でした。

奥が滋賀県安土城考古博物館

博物館は非常に立派で、安土城について色々勉強できました。
特に(伝)豊臣秀吉邸はジオラマがあり、建物の様子が良くわかりました。

続いて信長の館へ行きました。
ここには安土城天主の5・6階部分が実物大で復元されています。

安土城天主(復元)

目が眩むほど煌びやかです。恐らく他にこれほど豪華な天守は無いのではないでしょうか?
焼け落ちてしまって本当に残念です。


資料


■築城者 織田信長
■築城年 1576年(天正4年)
■主な改修者 羽柴秀吉
■主な城主 織田氏、明智氏
■縄張 
■立地 山城
■天守 望楼型 地上6階地下1階
■遺構 天守台、曲輪、石垣、堀



昼食は、滋賀県安土城考古博物館のレストランで、近江牛釜揚げうどん(940円)を食べました。
一応、近江の名物が食べられました。



 

2010年10月11日月曜日

大阪城 千貫櫓 他

2010年10月11日に登城しました。

今回は「千貫櫓(せんがんやぐら)・多聞櫓・金蔵(きんぞう」特別公開があったので、今年3度目の登城です。
特別公開は3日間だけで、金蔵の公開は珍しいようです。

いつもは環状線の森之宮駅から攻めるのですが、今回は東西線の大阪城北詰駅から北外濠に沿って西側へ廻り、乾櫓を見ながら大手門から攻めました。

左から 千貫櫓 多聞櫓 大手門

大手門(重文)を入ると枡形になっていて、入って正面から左側の門の上までL字型に続いているのが多聞櫓(重文)で、現存の多聞櫓の中では最大級だそうです。

多聞櫓(大手口大門上が渡櫓 折れ曲がった右側が続櫓)

多聞枡形(大手口大門)を抜けて3箇所共通入場券(200円)を購入し、いよいよ多聞櫓に入ります。

多聞櫓(続櫓)入り口

続櫓内部は天井が高く、武者走り(廊下)の右側に6室の部屋があります。

続櫓内部

武者走りを抜けると渡櫓につながっていて、4室になっています。大手口大門上部にあたる部分が一番広く、70畳ほどあるそうです。今まで見た櫓の中では最大です。

続櫓内部
奥の部屋が大手口大門上部

多聞櫓を出ると千貫櫓が見えます。

千貫櫓

千貫櫓内部は周りが武者走りになっていて、結構広いです。
床の穴からカメラのレンズを入れて撮影したところ、床下は石で敷き詰められていました。

千貫櫓内部

多聞櫓を出て、次は本丸にある金蔵に向いました。
3連休の最終日で天気が良かったので、天守前は大勢の人で賑わっています。
金蔵は天守の南東にあります。こじんまりしていて、トイレと間違えそうです。しかしこれも重文です。
金蔵

金蔵は他のお城にもあったようですが、現存しているのはこの金蔵だけだそうです。
内部は2室になっていて、広さは30畳ほどでしょうか・・・

金蔵内部

窓には鉄格子がはめられ、床下は石が敷き詰められ、扉は3重で、さすがに頑丈に作られています。
金蔵を出て天守を眺め、今回は初めて本丸の北側から帰ることにしました。

山里口出桝形から天守を望む

本丸北側には山里丸があり、当時ここで千利休と茶会を催したりしたそうです。
しかし大坂夏の陣落城時、淀殿と豊臣秀頼が自刃した所でもあります。
極楽橋を渡って内濠の外へ出て、青屋口門から城外へ出ました。

青屋口門

この門は大坂城の裏口(搦め手口)の一つで城の鬼門にあたるそうで、当時は常に閉められていたそうです。

2010年9月12日日曜日

岡崎城 031

2010年9月12日に登城しました。


「駿河~遠江~三河」城巡りの最後の5城目です。

岡崎公園駐車場に車を止めて登城に向いました。
岡崎城は松平清康(徳川家康の祖父)が現在の位置に移築して築いた城で、徳川家康はこの岡崎城で誕生しました。
天守は復興(コンクリート)で内部は資料館になっています。

天守正面

天守最上階から本丸を望む

館内のジオラマによると、縄張は非常に複雑で迷路のようになっていたようですが、残念ながら城跡には現存の建造物は残っていませんし、石垣と掘りも余り残っていません。

本丸石垣

珍しく湾曲した曲輪(石垣)

本丸を出て三河武士のやかた家康館に向いました。
ここはまるで観光地です。団体客で一杯です。城巡りでこんなに大勢の人が訪れている城は、姫路城以外で見たことがありません。家康人気でしょうか・・・ちょっと冷めてしまいました。

家康館

館内はもちろん資料館で、徳川家以外に本多家に関する展示も結構ありました。中でも関が原の戦いのジオラマは良くできていて、合戦の様子が良くわかりました。

最後に再建された大手門を見て、前日同様非常に遅い昼食(3時過ぎ)に向いました。

大手門


資料

■築城者 西郷稠頼・頼嗣
■築城年 1452年(享徳元年)
■主な改修者 松平清康、田中吉政
■主な城主 西郷氏、松平氏、田中氏、本多氏、水野氏
■縄張 梯郭式
■立地 平山城
■天守 複合連結式望楼型3重3階
■遺構 天守(復興?)、門(復元?)、石垣、堀


昼食にはうなぎを食べようと思い、岡崎城天守で美味しいお店を教えてもらっていたのですが、何と昼食時間帯を過ぎていたので食べに行けませんでした。メチャクチャ残念!!!
今回の城巡りは昼食にツキがありません。
そこで、事前に調べていた名物の八丁味噌料理の店(岡崎公園内)に行き、みそかつ定食(1050円?)を食べました。私には味噌ソースがちょっと辛かったですが、美味しかったです。

みそかつ定食

三河吉田城 030

2010年9月12日に登城しました。

「駿河~遠江~三河」城巡りの4城目です。

三の丸駐車場に車を止めて登城に向いました。
現在は公園になっていますが、最初お城が見つけられずウロウロしていたのですが、後で調べたら、ウロウロしていたところは二の丸だったようです。

最初に見つけたのは千貫櫓の石垣です。ここに吉田城の石碑がありました。

千貫櫓石垣

このお城は堀や石垣の遺構がよく残っているようです。

本丸石垣と空堀

本丸門?跡

唯一の建造物である鉄櫓(隅櫓:復興)がありますが、残念ながら修復工事中でした。
 
修復工事中の鉄櫓(隅櫓)
 
本丸
 
豊川側に降りてみると、石垣が高く積まれていることがよくわかります。
豊川に面している堀は、当時は川の水が引き込まれていたようです。
 
豊川沿いから見た本丸石垣と鉄櫓(隅櫓)
 
 
資料


■築城者 牧野古白?
■築城年 1505年(永正2年)?
■主な改修者 池田照政(池田輝政)
■主な城主 牧野氏、戸田氏、小原、酒井氏、池田氏、竹谷松平氏、深溝松平氏、沼津水野氏、山形水野氏、小笠原氏、久世氏、牧野氏、長沢・大河内松平氏、本庄松平氏、長沢・大河内松平氏
■縄張 半円郭式
■立地 平城
■天守 なし
■遺構 模擬鉄櫓、石垣、土塁、堀

浜松城 029

2010年9月12日に登城しました。

「駿河~遠江~三河」城巡りの3城目です。
浜松市役所の駐車場に車を止めて登城開始!

当時の野面積みの石垣が残る

浜松城は、徳川家康が29才~45才の間居城していました。駿府城に移った後は、城主になった者が次々と重要な役職に登用された為出世城と言われているそうです。
天守はコンクリートの復興で、内部は資料館になっています。(150円)

天守

天守最上階からは、天守曲輪と天守門跡が見えます。

天守門跡

天守台は野面積みの石垣が残っています。
また曲輪には土塀が残っており、西には埋門がありました。


天守北側は谷になっており天然の堀になっていたようですが、現在は日本庭園になっています。


資料


■築城者 今川貞相?
■築城年 16世紀前半
■主な改修者 徳川家康
■主な城主 飯尾氏、松平氏、堀尾氏、井上氏、水野氏他
■縄張 梯郭式
■立地 平山城
■天守 不明(現在模擬天守)
■遺構 石垣、曲輪