2012年8月25日土曜日

松本城 <国宝> 055

2012年8月25日 登城しました。

今回は信濃国3城(松本城⇒松代城⇒上田城)と善光寺を巡ります。
大阪から車で約3時間半で大手門駐車場に到着しました。

まずは腹ごしらえし、それから登城です。

松本城は以前は深志城(ふかしじょう)と呼ばれ、小笠原氏が城主を勤めていました。その後天正10年(1582)小笠原貞慶が松本城と改めました。天正18年(1590)に徳川家康が関東に移封されると城主小笠原秀政は家康に従い下総へ移り、石川数正・康長父子が代わって入り、城と城下町の整備を進め、近世城郭としての松本城の基礎を固めました。

縄張は、本丸・二の丸・三の丸ともほぼ方形に整地されていて、南西部に天守を置いた本丸を、北部を欠いた凹型の二の丸が囲み、さらにそれを四方から三の丸が囲むという、梯郭式に輪郭式を加えた縄張りです。これらは全て水堀により隔てられています。現存12天守の中では唯一の平城です。

城内案内板より

まずは太鼓門から二の丸に入ります。
太鼓門枡形は、文禄4年(1595)頃に築かれ、門台北石垣上に太鼓櫓が置かれ時の合図などに使われていました。平成11年(1999)復元されました。

太鼓門枡形
正面が二の門(高麗門)

枡形内
一の門(櫓門)

太鼓門・一の門の玄蕃石

太鼓門を入って右には二の丸御殿跡があったのですが見忘れてしまいました。
次は黒門です。本丸に入る正門で、櫓門と枡形からなります。一の門(櫓門)は昭和35年(1960)、二の門と袖塀は平成2年(1990)に復元されました。二の門を入って入城料600円を支払います。

黒門・二の門

黒門・一の門

一の門の家紋
桐の紋ですが豊臣家臣だからでしょうか?

本丸に入って左に天守(国宝)が見えました。
すばらしい!!!かっこいい!!!



5重6階の天守を中心にし、大天守北面に乾小天守渡櫓で連結し、東面に辰巳附櫓月見櫓を複合した複合連結式天守である。
大天守は、初重に袴形の石落しを付け、窓は突上窓、破風は2重目南北面と3重目東西面に千鳥破風、3重目南北面に向唐破風の出窓を付けています。大天守は構造的には望楼型天守から層塔型天守への過渡期的な構造ですが、外見的には層塔型になっています。

天守内へは渡櫓から入り、月見櫓から出るようになっています。当日は天守内に入るまで30
分待ち、天守内でも階段でかなり混雑していました。
内部はさすが現存!重みがあります。待ち時間なんかまったく忘れました。

乾小天守1階

大天守 礎石

大天守4階

大天守5階
狭い階段のために混雑します

大天守6階(最上階)
大混雑です

最上階屋根裏
井桁梁でがっちり組まれています
(二十六夜神)

最上階から本丸方向
(後ろの山々は美ヶ原方面)

最上階から西方向

4階に下りて来ました。御座の間があります。書院造風の部屋で、戦のときは御座所(城主が居るところ)になります。

大天守4階 御座の間

大天守を下りて、辰巳附櫓を通り月見櫓に来ました。
徳川家光を迎えて月見をするために造られたそうですが、結局家光は来なかったそうです。
3方の舞良戸(まいらど)が外され、廻縁と朱塗りの高欄が見え、城とは思えない優雅な雰囲気です。

月見櫓 内部

月見櫓

天守を出て、本丸からも出て、南西側からの天守を見に行きました。
当日は天気が良かったので、非常にいい写真が撮れました。


堀に映る複合連結式天守


 さすが現存天守! さすが国宝天守! 一番好きな天守になりました。
絶対また行きます。(市立博物館を見忘れたのも心残りだし。。。)

次は松代城(海津城)へ向います。


資料

■築城者 小笠原長棟、石川数正・康長父子
■築城年 1504年(永正元年)
■主な改修者 松平直政
■主な城主 小笠原氏、石川氏、松平氏
■城郭構造 梯郭式+輪郭式平城
■天守 連結式望楼型(1593年頃か1615年築)
■遺構 現存天守、石垣、土塁、堀、二の丸土蔵


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昼食はやはり蕎麦。一緒に行ったマチョ松さんが探した 蕎麦倶楽部 佐々木 でとろろ蕎麦 大盛(1300円)を食べました。美味しかったですが、大盛なのに「ざる」が上げ底だったのでガッカリ。。。






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