松本城からは高速で約40分です。城跡北側の駐車場に駐車しました。
閉門まで30分しかありません。急げ。。。。。!
松代城 案内板
松代城の築城年代は不詳ですが、戦国時代に川中島で対峙した上杉軍に対する軍事的重要拠点の1つとして武田家の家臣山本勘助が短期間で造らせたのが始まりのようです。武田家が滅ぶと織田家の家臣森長可が入り、田丸直昌の代で石垣などが築かれ、森忠政の代で大改修され二の丸と三の丸の拡張を行い、現在のような規模になったそうです。元和8年(1622)に真田信之が上田藩から移封されると、当初海津城と称していたものを松代城と改称し、以来、松代藩の藩庁と真田家の居城として明治維新を迎えました。
現在の城跡は、平成14年までの整備事業で復元されたものです。
水の手と天守台
北不明門
北不明門の櫓門
天守台の様子
天守台から妻女山?を望む
太鼓門
内堀
松代城の北方には川中島古戦場跡が八幡原史跡公園となって残っています。
5度にわたって繰り広げられた武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いの中で、永禄4年(1561)の戦いの舞台になったのが八幡原。ここでの戦いが最も激しく、副将・武田典厩信繁、山本勘助ら勇将が戦死しました。
この八幡社は山本勘助が海津城を築くときに水除け八幡として、この地に勧請したと伝えられています。八幡社は永祿4年(1561)の第4次川中島の戦いのとき、武田信玄が八幡原に本陣を構え、激戦場になったため、社殿は破壊された。そこで信玄は海津城代高坂昌信(春日虎綱)に命じて社殿を再建させました。
八幡社 鳥居
川中島合戦図
武田信玄と上杉謙信の像
資料
■築城者 武田信玄
■築城年 1560年(永禄3年)
■主な改修者 田丸直昌、森忠政
■主な城主 田丸直昌、森忠政
■城郭構造 輪郭式平城
■天守 不明
■遺構 石垣、土塁、堀
■再建造物 太鼓門、堀、石垣、土塁
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今晩の宿泊地である 国民宿舎 松代荘 です。
夕食(美味くて量もたっぷり)
朝食(バイキング)
黄金色の源泉かけ流し
(ポスターです。決して隠し撮りではありません)
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