2011年8月27日土曜日

岡山城 (重要文化財) 043

2011年8月27日に登城しました。

青春18切符を利用して、大阪から在来線で3時間近くかかって岡山駅に到着しました。
岡山駅からは徒歩で10分程度です。

まず、大手門前の内下馬橋を渡って大手門跡を抜けて本丸(下の段)に入ります。
この堀は内堀になります。

大手門前の内下馬橋

大手門から右に折れると、本丸本段が見えます。かなりの高さの石垣です。また塀が復元されていて石垣の美しさが栄えます。

本丸本段石垣

上の写真左奥に石段があり、これを登ると鉄(くろがね)門跡があり、表書院があった表向になっています。
表向の北隅に現存の月見櫓(重文)があります。

月見櫓

月見櫓は元和・寛永年間(1615-1632年)築で、武器の貯蔵庫として使われていたようですが、名前どおりに月見にも使われていたようです。珍しく雨戸がありますが、これは後に付けられたのでしょうか?

表向から本段へは不明(あかずの)門を通ります。

不明門

不明門は渡櫓門で、本段の入口を固める重要な門ですが、普段は北端の渡り廊下を使用していたようです。鉄筋コンクリートの外観復元です。

不明門を抜けて、いよいよ本段に入ります。

本段東中央に六十一雁木上門が再建されています。
下の段から直接本段に通じる石段下に建つのが六十一雁木下門(櫓門)で、奥が要害門(高麗門:再建は薬医門形式)です。本段御殿に勤める武士以外の者の通用口として使われていたようです。

六十一雁木下門

さあ、いよいよ天守です。

天守と塩蔵

岡山城天守は、大入母屋造りの基部に高楼を重ねた望楼型です。外壁に黒塗りの下見板を張っているため全体的に黒色が強調されています。

また西側三分の一は塩蔵と呼ばれる別の櫓(写真左側)が渡櫓なしで直接に天守に付属しており、複合式天守」となっています。
残念ながら、天守は石山門と共に岡山空襲で焼失しました。現在の天守は、鉄筋コンクリートで外観復元されたものです。


天守最上階から後楽園を望む

天守を出て、本段北西から表向に出て廊下門から下の段へ出ました。

廊下門(下の段から)

なお当時、本丸西側に西の丸がありましたが、西の丸西端にあった西の丸西手櫓が現存しています(重文)。現在は小学校跡の校庭の隅にひっそりと建っています。何だか哀れになります。

西の丸西手櫓

二ノ丸付近には、長屋門が移築されている。

長屋門

本丸下の段を出て、旭川を渡り昼食をとって、後楽園に行きました。

旭川向からの天守と月見櫓

後楽園は日本三名園にかぞえられるだけあり、見事な庭園でした。

岡山城を借景に沢の池

岡山城は、天守の大きさに驚きました。現存していないのが非常に残念です。
他の名城もそうですが、空襲と廃城令を恨みます。


資料


■築城者 上神高直?
■築城年 正平年間
■主な改修者 宇喜多秀家、小早川秀秋、池田忠雄
■主な城主 宇喜多氏、小早川氏、池田氏
■城郭構造 梯郭式平山城
■天守 複合式望楼型4重6階(1597年築)
    (鉄筋コンクリート造外観復元・1966年)
■遺構 櫓、石垣、堀



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昼食は旭川川向にある食事処で冷やしうどん定食(\950)を食べました。
岡山名物のままかりが付いていましたが、私はどうも。。。イマイチでした。



2011年8月19日金曜日

高島城 042

2011年8月19日に登城しました。

家族でビーナスライン周辺へ旅行に行った帰りに立ち寄りました。曇り時々雨のあいにくの天気でした。車を高島公園横にある市役所の駐車場(無料)に止めて、いざ登城!

高島城は、かつては諏訪湖に突き出した水城で「諏訪の浮城」と呼ばれていたそうですが、江戸時代初めに諏訪湖の干拓が行われ、水城の面影は失われたようです。しかし浮城の異名を持っていたことから、日本三大湖城の一つに数えられています。

駐車場を出ると、堀と石垣が残っています。そして北東隅に角櫓があります。

角櫓

角櫓の西には冠木門があり、冠木橋と天守が見えます。なかなか美しい!

東から天守を望む

天守は廃藩置県で明治8年に破却されました。現在の天守は、明治初頭に撮影された写真を元に鉄筋コンクリートで復興されています。窓の大きさや位置などの細部が異なり、屋根は瓦葺ではなく檜の薄い板を葺く柿葺でしたが、銅板が葺かれています。



天守北側

高島城を築城したのは日根野高吉で、織田信長豊臣秀吉の下で普請を経験していたことから、織豊系城郭として築城し、石垣を築いて天守も上げている。

冠木橋を渡り、冠木門から本丸に入ります。

冠木門

本丸は庭園になっていて、当時に建物は何も残っていません。
天守は階段を登ると入り口があります。


内部は資料館になっています。
最上階からは諏訪湖が見えます。天気が悪かったので、遠くの山々は見えませんでした。

本丸の北側に二ノ丸と三ノ丸がありましたが、現在は住宅地になっています。残念です。


資料

■築城者 日根野高吉
■築城年 文禄元年(1592年)
■主な改修者 諏訪忠粛
■主な城主 日根野氏、諏訪氏
■城郭構造 連郭式平城
■天守 独立式望楼型3重5階(1598年築 非現存)
    (1970年 RC造復興)
■遺構 石垣、堀、門