当日は二条城お城まつりのイベントで「二条城建物めぐり」が9時半からあったので、早めの9時に行ったのですが、その時点で定員に達していて参加できませんでした。ショック!!!
しかし当然、折角来たので登城しました。今回はいい天気でよかったです。
地下鉄東西線 二条城前駅 を出ると、いきなり東南隅櫓(重文)の前に出ます。
東南隅櫓
二層の美しい櫓で、二条城が城であることを感じさせる数少ない遺構です。
入城料(600円)を支払って東大手門(重文)から入ります。
東大手門
東大手門は本瓦葺で入母屋造り、妻は木連格子、棟には鯱が飾られています。形式は櫓門で石垣と石垣の間に渡櫓を渡して、その下を門とした形式になっています。
さすが立派です。
東大手門を入り左に進むと唐門(重文)があります。ここが二ノ丸の入口です。
唐門
唐門は切妻造、桧皮葺の四脚門でその前後は唐破風造となっています。見事な彫刻がふんだんに使われています。
二ノ丸に入ると正面に二ノ丸御殿の車寄と遠侍(国宝)の前に出ます。左に大広間(国宝)の建物も見えます。
二ノ丸御殿(車寄と遠侍)
二ノ丸御殿は、手前から順に遠侍(とおざむらい)、式台(しきだい)、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院と呼ばれる6つの建物が雁行に並び、廊下で接続され一体となっています。これらは全て国宝です。大広間の西側、黒書院の南側に日本庭園があります。遠侍の北側、白書院の東側には台所(重文)と配膳をするための御清所(重文)と呼ばれる建物があります。
二ノ丸御殿内部は写真撮影禁止なので非常に残念です。
大広間にある一の間は、慶応3年10月14日(1867年11月9日)、江戸幕府第15代将軍徳川慶喜が明治天皇に政権を返上した大政奉還が行われたところです。(左の写真はインターネットより入手)
二ノ丸御殿を出て、二の丸庭園の方へ行きました。
二ノ丸庭園と黒書院
二ノ丸庭園は別名「八陣の庭」と言われ、作庭家で有名な小堀遠州の代表作であり桃山様式の池泉回遊式庭園です。が、私には、回遊して落ち着ける庭ではないかな。。。
次に本丸へ向います。
まずは本丸櫓門(重文)です。
本丸櫓門
内堀にかかる東橋を渡ったところにあるちょっと中華風な門です。城門としては珍しいかも。
本丸に入って、まずは天守台へ。
創建時の天守は、慶長期に家康によって現在の二ノ丸北西隅に建てられたもので、大和郡山城の天守を移築した可能性があるそうです。この天守は3代家光の時に行われた寛永の大改修時に淀城に移築されています。
現在の天守台にそびえていた寛永期の天守は伏見城から移築されもので、取付矢倉と小天守が付属する複合式の層塔型5重5階の天守でしたが、1750年(寛延3年)の落雷で焼失してしまいました。
天守台からは360度京都市内が見渡せます。当時の天守からは京都の隅々まで見渡せたことでしょう!
天守台からの本丸
創建当時の本丸御殿は、二の丸御殿にほぼ匹敵する規模をもっており、内部は狩野派の障壁画で飾られていました。しかし天明8年(1788年)の市中大火のため焼失してしまいました。
その後永らく本丸御殿の再建はならず、幕末に15代将軍慶喜の住居として、本丸御殿が建てられましたが、明治14年に撤去されました。
現在の本丸御殿(重文)は、京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を、明治26年から27年にかけて本丸内に移築したものです。
京都御所にあっただけに、城の御殿という雰囲気はなく住宅のようです。
本丸御殿
本丸から二ノ丸に戻り、内堀の周りを一周します。
内堀の周りには4つの門があり、いずれも重文です。
南中仕切門
桃山門
その後、再度二ノ丸御殿を見学し、城を出て今度は外堀を南から時計回りに3/4周しました。
まずは西南隅櫓(重文)です。東南隅櫓より小さい気がしますが。。。
西南隅櫓
次に西門(重文)です。今はありませんが、外堀に橋がかかっていたのでしょう。
西門
最後に北大手門(重文)です。大手門だけに立派ですが、こちらは現在使われていないようです。
北大手門
二条城は「城」というよりは「超豪華な大名屋敷」という感じです。しかし今では造れないような豪華な二の丸御殿には感動しました。
この後、金戒光明寺と知恩院へ行きました。
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昼食は、二条城の南にある 喜Bun上Jo で「ふろしき行灯二段重(1600円)」をいただきました。
とってもおいしくて、京都らしい昼食がいただけました。
ふろしき行灯二段重