2010年7月30日金曜日

篠山城 023

2010年7月30日に登城しました。

今回は車で行きました。
蒸し暑い日で、着くまでに雨が降ったり止んだりしていました。

篠山城は徳川家康の命令で、藤堂高虎が縄張を担当し、普請総奉行を池田輝政が務めました。
縄張は回の字型になっており、内堀と外堀が残っています。建造物は大書院が現存していたのですが、1944年(昭和19年)1月6日に失火により焼失してしまいました。が、2000年(平成12年)4月には復元されました。

三の丸の駐車場に車を止めて二の丸に向いました。

現在の二の丸入り口正面

ここは元々北廊下門がありました。入って行くと鉄門大書院がが見えてきました。
門の奥に見えているのが奥御殿で、大書院への入り口と、内部は史料館になっています。
入館料は400円ですが、他の博物館等全4館の共通入場券(600円)を購入しました。

鉄門(右)と大書院(左)

大書院の内部は、やはり真新しい感じで、「歴史の重み」はありません。
なお暑さのせいか、拝観者は私だけでした。

大書院内、上段の間次の間

大書院を出て南側は二の丸が開けていて、小書院のあった場所が標されています。
ここも、観光客は私以外に3人いただけです。

大書院(右)と奥御殿(左)

また二の丸南中央には埋門があります。

埋門

二の丸東側に本丸があり、そこに天守台がありますが、天守は建造されませんでした。

本丸

天守台

内堀の石垣は藤堂高虎の特徴である犬走りがあります。ちなみに外堀は土塁のみです。

内堀石垣の犬走り

また篠山城には、めずらしい馬出が2箇所残っています。
東馬出は公園に整備されてしまっていますが、南馬出はそのまま土塁で残っていました。想像していた以上に広いです。

南馬出

一通り見終わった後、周囲の博物館などを見て周り、「ろまんてい」で昼食をたべました。

その後、近くの「ささやま荘」(国民宿舎?)で温泉に入り(貸切状態)、帰りました。


資料
■築城者 徳川家康
■築城年 1609年(慶長14年)
■主な城主 松平氏、青山氏
■縄張 輪郭式
■立地 平山城
■天守 建造されず
■遺構 石垣、堀

2010年7月26日月曜日

坂本城 へ行くはずが…

2010年7月26日に行く予定でした。

同日、国宝建造物巡りの日吉大社へ参拝しようと坂本を訪れたので、ついでに坂本城を訪れる予定をしていました。坂本城は湖に沈んで遺構はほとんど確認できないのは調べて知っていたのですが、一応坂本の観光案内所で聞いてみたところ、「折角30分ほどかけて行っても、石碑が立っているだけですよ。」と言われ、当日は38度ほどの猛暑だったせいもあり、行く気が失せてしまいました。
ただこのまま帰るのはもったいないので、元々予定していた坂本城の遺構門を見に行くことにしました。

日吉大社の大鳥居前にある鶴喜そばでとろろそばを食べた後、約1㎞離れた西教寺にむかいました。炎天下で影の無い登り坂の道を休憩しながら20分程で到着しました。

するといきなり総門が現れました。
なかなか立派です。

西教寺 総門 (坂本城移築門)


門をくぐって坂道を登っていくと、本堂前に到着しました。
ここに明智光秀一族の墓がありました。

明智光秀一族の墓

なんと、本殿の横にある客殿は、伏見城御殿を移築したものです。

西教寺 客殿 (伏見城移築御殿)


坂本は石積みで有名な穴太衆の本拠地です。
地形が比叡山の裾野だからでしょうか?傾斜を平地にする為に石垣が多用されています。
町中が石垣だらけで、城好きにはたまりませんねぇ。。。


坂本の町並み