気温も天気も最高です。今回は友人の車での城巡りです。大阪から約2時間で到着しました。GW初日にもかかわらず、うまく渋滞を切り抜けて来ました。
まずは小谷城戦国歴史資料館で小谷城の縄張を確認します。
歴史資料館のジオラマ
今回は追手道コースで本丸から六坊跡まで行き、大獄城まで登城し、六坊跡まで引き返し清水谷コースで歴史資料館まで戻ってきます。
小谷城は戦国大名浅井氏の居城で、堅固な山城として知られていましたが、織田信長に攻められ落城しました。その後、羽柴秀吉が長浜城うぃ築城する際に石垣などの資材を流用され廃城となりました。
標高約495mの小谷山(伊部山)から南の尾根筋に築かれており、日本五大山城の一つに数えられています。
登城途中にあった絵図
追手道は山の尾根を通っているようで、上り坂が一直線に伸びており非常に疲れます。
追手道
しかし本丸までいくつもの曲輪跡があり、そこからの琵琶湖の眺めが最高で、疲れが吹き飛びます。
桜馬場跡からの眺め
桜馬場から大広間へ登る所に黒金門があり、殆ど唯一残っている門跡だと思います。
黒金門跡
黒金門を登ると大広間と呼ばれている曲輪にでます。ここはかなりの広さがあり、最も重要な建物が建ち並んでいたのではないかと思われています。
大広間跡
大広間の一番奥にある石垣
小谷城といえばこの石垣です
大広間をさらに登ると本丸があり、二層の天守の様な建物が建っていたと考えられています。その建物は、現在彦根城の西の丸にある三重櫓ではないかといわれています。ここまでで約1時間弱かかりました。
本丸の先には大堀切があり、さらに上部の曲輪とを分断しています。
大堀切跡
さらに上部にある山王丸の東側には大石垣が残っています。現存する小谷城最大の石垣です。長浜城へ持っていかれずによくぞ残ってくれた!!!
大石垣
山王丸からは下って六坊跡があります。ここで道が二手に分かれ、一方はさらに登って大獄城跡へ。一方は清水谷を経て下山します。
さらに登って大獄城へ向います。またもや尾根づたいの厳しい登り坂です。
大獄城への登城道
本丸から約40分で大獄(おおづく)城に到着しました。ヘトヘトです。
大獄城は小谷城の支城として築かれたようで、小谷城の主郭部から更に100m以上の高所にあります。
大獄城(頂上)
下山途中、小谷城の主郭部が見えていたので撮影しました。
中央が小谷城 山王丸
六防から清水谷を通って下山しました。山道は急な下り坂が続き、膝が非常に疲れました。
降りきった所は平地になっており、負食う数の屋敷跡が点在していました。
歴史資料館近くで清水谷を振り返って
中央の頂が大獄城
資料
■築城者 浅井亮政
■築城年 1516年(永正13年)?
■主な改修者 浅井氏
■主な城主 浅井氏、羽柴秀吉
■城郭構造 梯郭式山城
■天守 二層(推定)
■遺構 曲輪、空堀、土塁
下山後、途中で昼食を取り、賤ヶ岳に向いました。
賤ヶ岳(しずがたけ)は小谷城の北西にある標高421 mの山で、琵琶湖と余呉湖を分けています。
1583年(天正11年)、周辺は賤ヶ岳の戦い(羽柴秀吉vs柴田勝家)の合戦場となりました。
賤ヶ岳リフトの駐車場に車を止めて、登山口へ向います。
本来であれば歩いて登りたいところですが、なにせ先ほど小谷城へ登城したところなので、登りだけリフトを利用することにしました。
リフトを降りてからも結構登って頂上に到着しました。
賤ヶ岳頂上
賤ヶ岳の戦いの際、ここ賤ヶ岳砦は羽柴秀吉の指揮所となったようです。
賤ヶ岳砦 縄張図
山頂からは360度すばらしい眺めです。琵琶湖 余呉湖そして小谷城が見渡せます。
中央の三角の頂が小谷(大獄)城
下山は徒歩にしました。駐車場までは1.5kmあり、結構疲れました。
賤ヶ岳登山道
下山後、小谷城近くにある「お市の方も入った」という須賀谷温泉で足の疲れを癒し、長浜ICへ向う途中で姉川古戦場に立ち寄りました。
姉川戦死者の碑
現在の姉川は何の変哲もない普通の川ですが、当時は川の水が真っ赤に染まっていたことでしょう(合掌)
戦死者の碑のすぐ横の川原
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昼食は、小谷城近くの和風レストランで「地鶏の親子丼」を食べました。名古屋で食べた「名古屋コーチンの親子丼」並ぶ美味しさでした。