2010年10月16日土曜日

安土城 032

2010年10月16日に登城しました。

天気は最高です。
安土駅前の信長像に挨拶し、レンタサイクル屋でママちゃりを借りて(5時間 1000円)、いざ安土城に向って出陣!!!
駅から15分ぐらいだったでしょうか?安土城に到着しました。

入り口で入山料(500円)を支払い、いきなり大手道の長い階段が目に入りました。

大手道

この階段を見ただけで鳥肌が立ちました。。。スゴイ!!!
階段を登っていくと、すぐ右側に(伝)前田利家邸跡が、左側には(伝)豊臣秀吉邸跡があります。

豊臣秀吉邸跡(上段部)


豊臣秀吉邸跡(下段部)

後で訪れた滋賀県安土城考古博物館でわかったのですが、下段部には櫓門があり武士が控える大きな厠が建っていたようです。上段部は秀吉が生活する場所で、高麗門と脇に隅櫓が建っていて、中には主殿や台所が建っていたそうです。
場所的には城の一番入り口近くですが、面積は一番広かったように思います。

さらに石段は続きます。

まだまだ石段

そして黒金門跡に着きました。ココから先はいよいよ城の中枢部です。

黒金門跡

黒金門を入ると二の丸になっていて、現在は信長公御廟があります。(合掌)

二の丸

信長公御廟

二の丸を進むと本丸があり、御殿跡らしき礎石が多数埋められています。
そして本丸から石段を上がると天主台があります。

天主台へ登る階段

天主台にも礎石が多数埋められています。城史上最初の天守にしては、大変大きいです。

天主台

天主台から北側が開けていました。琵琶湖から彦根方面が一望に見渡せます。
誰でも天下を取った気になるかも。。。

天主台北側からの眺望

帰りは順路どおり、摠見寺の三重塔と二王門を通り下山しました。
途中にも石垣がいたるところにあり、この城の壮大さを感じました。

安土城を後にし、滋賀県安土城考古博物館に向いました。
博物館の前で、ちょうどコスモスが満開でした。

奥が滋賀県安土城考古博物館

博物館は非常に立派で、安土城について色々勉強できました。
特に(伝)豊臣秀吉邸はジオラマがあり、建物の様子が良くわかりました。

続いて信長の館へ行きました。
ここには安土城天主の5・6階部分が実物大で復元されています。

安土城天主(復元)

目が眩むほど煌びやかです。恐らく他にこれほど豪華な天守は無いのではないでしょうか?
焼け落ちてしまって本当に残念です。


資料


■築城者 織田信長
■築城年 1576年(天正4年)
■主な改修者 羽柴秀吉
■主な城主 織田氏、明智氏
■縄張 
■立地 山城
■天守 望楼型 地上6階地下1階
■遺構 天守台、曲輪、石垣、堀



昼食は、滋賀県安土城考古博物館のレストランで、近江牛釜揚げうどん(940円)を食べました。
一応、近江の名物が食べられました。



 

2010年10月11日月曜日

大阪城 千貫櫓 他

2010年10月11日に登城しました。

今回は「千貫櫓(せんがんやぐら)・多聞櫓・金蔵(きんぞう」特別公開があったので、今年3度目の登城です。
特別公開は3日間だけで、金蔵の公開は珍しいようです。

いつもは環状線の森之宮駅から攻めるのですが、今回は東西線の大阪城北詰駅から北外濠に沿って西側へ廻り、乾櫓を見ながら大手門から攻めました。

左から 千貫櫓 多聞櫓 大手門

大手門(重文)を入ると枡形になっていて、入って正面から左側の門の上までL字型に続いているのが多聞櫓(重文)で、現存の多聞櫓の中では最大級だそうです。

多聞櫓(大手口大門上が渡櫓 折れ曲がった右側が続櫓)

多聞枡形(大手口大門)を抜けて3箇所共通入場券(200円)を購入し、いよいよ多聞櫓に入ります。

多聞櫓(続櫓)入り口

続櫓内部は天井が高く、武者走り(廊下)の右側に6室の部屋があります。

続櫓内部

武者走りを抜けると渡櫓につながっていて、4室になっています。大手口大門上部にあたる部分が一番広く、70畳ほどあるそうです。今まで見た櫓の中では最大です。

続櫓内部
奥の部屋が大手口大門上部

多聞櫓を出ると千貫櫓が見えます。

千貫櫓

千貫櫓内部は周りが武者走りになっていて、結構広いです。
床の穴からカメラのレンズを入れて撮影したところ、床下は石で敷き詰められていました。

千貫櫓内部

多聞櫓を出て、次は本丸にある金蔵に向いました。
3連休の最終日で天気が良かったので、天守前は大勢の人で賑わっています。
金蔵は天守の南東にあります。こじんまりしていて、トイレと間違えそうです。しかしこれも重文です。
金蔵

金蔵は他のお城にもあったようですが、現存しているのはこの金蔵だけだそうです。
内部は2室になっていて、広さは30畳ほどでしょうか・・・

金蔵内部

窓には鉄格子がはめられ、床下は石が敷き詰められ、扉は3重で、さすがに頑丈に作られています。
金蔵を出て天守を眺め、今回は初めて本丸の北側から帰ることにしました。

山里口出桝形から天守を望む

本丸北側には山里丸があり、当時ここで千利休と茶会を催したりしたそうです。
しかし大坂夏の陣落城時、淀殿と豊臣秀頼が自刃した所でもあります。
極楽橋を渡って内濠の外へ出て、青屋口門から城外へ出ました。

青屋口門

この門は大坂城の裏口(搦め手口)の一つで城の鬼門にあたるそうで、当時は常に閉められていたそうです。