2012年2月11日土曜日

大和郡山城 2度目

2012年2月11日に登城しました。

寒いですが天気はいい日でした。
今回の城巡りから、一眼レフ(SONY NEX-C3D)で撮影します。綺麗に撮れるといいですが。。。

JR郡山駅から歩き、近鉄の踏切を渡るとここから城跡公園になります。


郡山城は、天正8年、筒井順慶織田信長より大和一国20万石を与えられ、砦規模の城を本格的な戦国城郭へと修築を開始しました。城の修築半ば天正13年に豊臣秀長が、大和・紀伊・和泉100万石の太守として入城し、本格的に城の修築を行います。豊臣秀長の死後、養子秀保が嗣ぎますが、文禄4年17歳で死去してしまい大和大納言家は断絶します。が、城としては内郭部分は完成していました。その後、増田長盛が郡山20万石で入封し、城の修築を続け外堀(総堀)を普請し城は完成しました。江戸時代には郡山藩の藩庁が置かれ、最後の藩主は柳澤家です。

城跡公園入口の目印が鉄御門跡です。

鉄御門跡

緩やかな坂を登ると堀と石垣が見えてきます。
これは内堀になるのでしょうか。。。
今回は右側の陣甫曲輪へ進み追手門から入城します。


陣甫曲輪は、現在民家が立ち並んでいますが、もともとは城兵の調練の場として使われていた空き地で、出軍の時は武者溜まりとしても使用されていたようです。
いよいよ追手門が見えてきました。
一番手前が追手向櫓で、1987年(昭和62年)の復元です。

追手向櫓

追手門は1983年(昭和58年)の復元で、金の桐紋が付けられています。
なかなか立派な門です。

追手門

追手門を入ると法印曲輪になります。ここには現在市民会館が建っています。この中に大和郡山城の模型があるようなのですが、入館できませんでした。

市民会館裏には、東隅櫓が1984年(昭和59年)に復元されています。

東隅櫓

法印曲輪から毘沙門曲輪(本丸ニの郭)へ向います。
ここには柳沢文庫が建っています。入館しましたが、郡山城の詳細資料はありませんでした。

本丸(左)と毘沙門曲輪(右)

本丸には柳澤神社があり、一番北側に天守台が残っています。
5階6層の天守が建っていたそうですが、大和大地震で倒壊したようです。

天守台

本丸を出て二の丸を歩きました。現在は郡山高校になっています。
内堀に沿って歩きましたが、結構立派な石垣が築かれていて、しかも綺麗に残っています。

本丸西側石垣

本丸北側石垣(中央上部は天守台)

二の丸南側にも行ってみました。そこにも石垣と掘が残っています。

二の丸南

また市役所南西にも柳御門の石垣が残っていました。

いやあ~!大和郡山城をナメテいました。現在でもかなりの遺構が残っています。

帰りに春岳院に立ち寄りました。残念ながら入れませんでしたが、ここは豊臣秀長の菩提寺です。
私は秀長のファンなんです。兄秀吉を支えながらも決して前には出ない謙虚なところに惹かれます。

春岳院